本田正博の「わくわく親子鉄・乗り鉄」ブログ

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【回顧録】弘南鉄道三昧:黒石線、弘南線、そして大鰐線へ(1997/3/10)

1997年3月10日、南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄の熱気が冷めやらぬまま、旅の舞台は青森県を網羅するもう一つの雄、弘南鉄道へと移りました。大学生活の最後を飾るにふさわしい、濃密な鉄路の記憶を辿ります。

弘南鉄道三昧:黒石線、弘南線、そして大鰐線へ

十和田市から移動し、次に向かったのは弘南鉄道の各路線でした。短時間でこれほどバラエティーに富んだ路線と車両に触れられたのは、当時の青森ならではの贅沢でした。

  • 今はなき黒石線の記憶: JR川部駅と黒石駅を結んでいた黒石線は、もともと国鉄黒石線として運営されていた路線が1984年に弘南鉄道へ移管されたものでした。非電化区間ゆえにディーゼルカーが活躍しており、元国鉄のキハ22形や、小坂鉄道からやってきたキハ2100形が肩を並べていた光景は圧巻でした。どちらも古い車両でしたが、その無骨な佇まいは旅情を強くかき立てるものでした。

  • 弘南線と大鰐線を乗り継いで: 黒石からは電化区間の弘南線で弘前へ、さらに中央弘前から大鰐線へと立て続けに乗車しました。元南海電鉄や元東急電鉄の車両たちが、雪残る津軽平野を背景に第二の人生を歩んでいる姿は、どこか頼もしく感じられたものでした。

🌙 大鰐温泉駅での惜別と、最後の夜

旅の締めくくりは、大鰐温泉駅でした。ホームで待っていると、羽越本線経由で上野を目指す寝台特急「鳥海」が静かに滑り込んできました。

  • 二つの寝台特急の邂逅: 先行する「鳥海」を見送った後、自分たちが乗り込んだのは寝台特急「あけぼの」でした。当時は山形新幹線の延伸工事の関係で、東北本線から陸羽東線を経由して運行されていた時代です。

  • 横浜への帰路: EF81形電気機関車に導かれた青い客車に揺られ、大学生活最後の旅を噛み締めながら横浜への帰路につきました。車窓を流れる暗闇とレールのリズムが、楽しかった2泊3日の記憶をゆっくりと整理してくれているようでした。


✨ まとめ:大学生活を締めくくる、青森鉄旅の終着点

1997年3月の青森旅行は、新幹線開業前夜という歴史的なタイミングもあり、極めて充実したものでした。

南部縦貫鉄道のレールバスの揺れ、十鉄のターミナルの活気、そして弘南鉄道の多様な車両たち。それらすべてを繋いでくれた寝台特急の旅は、鉄道ファンとしてこれ以上ない最高の卒業旅行となりました。

この旅で目にした、懸命に走る古い車両たちの姿。その記憶があったからこそ、現在の自分があるのだと改めて深く実感した次第でした。

【回想録】1997年3月・休止直前の南部縦貫鉄道と十鉄、消えゆく鉄路を繋いだ旅

1997年3月10日、秋田新幹線「こまち」の開業をわずか12日後に控えた東北の地を訪れました。当時、横浜に住んでいた自分にとって、この旅は新幹線時代という大きな転換点を前に、消えゆく景色を記憶に刻み込むための儀式のようなものでした。


🕒 深夜の上野駅から、夜明けの野辺地へ

旅の始まりは、上野駅でした。23時過ぎの静まり返ったホームで、寝台特急「はくつる」に乗り込みます。当時は583系から24系客車に変わったものの「はくつる」は現役で、高い天井の寝台に揺られながら北を目指す時間は、格別の高揚感がありました。

目が覚めるとそこは夜明けの野辺地駅でした。まだ肌寒い北国の空気が、これからの旅の密度を予感させてくれました。

🚌 南部縦貫鉄道:揺れる、唸る、生きる「レールバス」

野辺地駅の片隅から発着していたのが、南部縦貫鉄道でした。このわずか数ヶ月後に休止(のちに廃止)が決まっていたこともあり、車内は別れを惜しむ全国からの鉄道ファンで埋め尽くされていました。

  • 衝撃の乗り心地: バスの部品を流用して作られた「キハ10形」レールバス。走り出すと、およそ鉄道とは思えないほどによく揺れました。エンジンの唸り、板張りの床、そして独特の縦揺れ。地元の利用者は数名でしたが、これほど古い車両が今日まで懸命に走り続けてきた事実に、深い敬意を抱かざるを得ませんでした。

  • 七戸駅の威厳: 終点の七戸駅は、のどかな景色の中にありながら、本社機能を備えた立派な駅舎でした。古いけれど手入れが行き届いたその佇まいは、この鉄道が地域の誇りであったことを静かに物語っていました。

🚈 十和田観光電鉄:静かなるターミナルの趣

七戸からバスに乗り継ぎ、十和田市駅へと向かいました。ここから三沢までを結んでいたのが、十和田観光電鉄(十鉄)でした。

  • 街の玄関口: ショッピングセンターと一体化した十和田市駅は、ひっきりなしにバスが発着する一大ターミナルの風格がありました。南部縦貫鉄道の「静」に対し、こちらは生活の足としての「動」の活気に溢れていました。

  • 三沢への銀色の旅: 東急電鉄から譲渡された銀色の車両に揺られ、十和田平野を進みます。三沢駅のあの古びた、しかし温かみのある駅舎に滑り込んだ時、一つの旅を終えた安堵感に包まれました。


✨ まとめ:1997年、あの春に刻んだ記憶

1997年3月10日。南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄、この二つの個性豊かな私鉄を一日で乗り継げたことは、今思えば奇跡のような体験でした。

南部縦貫鉄道のレールバスが放っていた、あの「古いけれど頑張っている」という健気なエネルギー。その時の感動は、20数年の時を経て、自分が小坂鉄道保存会でボランティアとして車両を守る活動をしている原動力に、間違いなく繋がっています。

失われた鉄路はありますが、あの日肌で感じた揺れや匂いは、今も自分の中で鮮明に生き続けています。

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【回想録】蒼き日本海を往く「青い流星」。祖父と寝台特急「日本海」の記憶

2026年、かつての寝台特急たちが姿を消して久しいですが、私たちの心の中には今もあの青い客車が走り続けています。今回は、関西と北東北を結んだ大動脈、**寝台特急「日本海」**の思い出を辿ります。

秋田機関区の機関士だった祖父から聞いたEF81の物語、そして家族で訪れた岩手県岩泉町の宿泊施設(当時はふれあいランド岩泉という名称)まで、世代を超えて紡がれる「日本海」の記録を綴ります。

1. 🕒 寝台特急「日本海」:日本海縦貫線の女王

1968年に誕生した「日本海」は、大阪から京都、敦賀、福井、金沢、富山、新潟(新津)、秋田を経て青森へと至る、日本海側を縦断する唯一無二の寝台特急でした。

  • 歴史の重み: 当初は20系客車で運行され、その後、14系や24系25形へと進化。青函トンネル開業後は函館まで乗り入れた時期もあり、長距離ランナーとして君臨しました。

  • 秋田の「夜の顔」: 秋田駅に夜深く、あるいは早朝に滑り込んでくる姿は、この街に住む私たちにとって「遠い関西」を繋ぐ特別な象徴でした。

2. 🚆 私の「日本海」体験:B寝台とA寝台の夜

私は生涯で2回、この列車に乗車した記憶があります。どちらも新大阪から秋田までの旅路でした。

  • B寝台の安心感: 初めて乗車した時のB寝台。狭い三段式(あるいは二段式)のベッドの中で、レールの継ぎ目を叩くリズムを聴きながら過ごした夜は、冒険そのものでした。

  • A寝台・上段の優越感: もう一度は、贅沢にもA寝台へ。(この日は満席で子の上段しか空いていなかった)上段から眺める、深夜の駅を通過する際の淡い光。高い視点から見下ろす車窓(といっても小さな小窓)は、いつもの景色を全く違うものに変えてくれました。

⚓ 祖父が守った「EF81」のハンドル

私の「日本海」への愛着には、もう一つの理由があります。祖父が秋田機関区に所属する国鉄機関士だったことです。国鉄時代は秋田駅でEF81からED75へと機関車交換が行われていました。

  • 秋田・酒田間の「仕事場」: 祖父は秋田駅と酒田駅の間を担当し、「日本海」を牽引するEF81形電気機関車のハンドルを握っていたそうです。

  • 語り継がれる職人技: 「ローズピンクの81(ハチイチまたはパーイチ)は、交直流の力持ちなんだ」——祖父から聞いた機関車の話は、子どもだった私に鉄道の誇りを教えてくれました。今でもEF81を見るたび、ハンドルを握る祖父の力強い背中を思い出します。

🚈 岩手県岩泉町・ブルートレイン日本海の宿

「日本海」が引退した後、その車両たちが静かに余生を過ごしている場所があります。それが、岩手県岩泉町の「ふれあいらんど岩泉」にある、24系客車を利用した宿泊施設です。

  • 2014年の家族旅行: オープン当初、私は家族を連れてここに泊まりに行きました。

  • 動かぬ車内、動く記憶: 現役時代と変わらない青いモケット、折りたたみ式のハシゴ。列車はもう走りませんが、夜の静寂の中で眠りにつく感覚は、まさにあの日の「日本海」そのもの。子どもたちにも、かつての寝台特急の空気を肌で感じてもらえた、かけがえのない時間でした。

3. ✨ まとめ:受け継がれる「青い記憶」

小学生の頃、友だちと競うように秋田駅へ写真を撮りに行ったあの日。そして今、保存会として車両を守る立場になった私。

  • 家族の絆と鉄道: 祖父から父へ、そして私へと受け継がれた鉄道への情熱。その中心には、いつも「日本海」という蒼い流星が輝いていました。

  • 不滅のブルートレイン: 鉄路からは姿を消しましたが、私たちの記憶の中、そして岩泉の地で、日本海は今も走り続けています。

2026年の今、改めて振り返る「日本海」。それは単なる列車ではなく、秋田の家族の物語そのものでした。

【模型紹介】夜の静寂と港の活気。HOゲージで再現する、孤高のディーゼル機関車「DD51」

前回の電気機関車編に続き、かつてのコレクションから、たった一形式ながら強烈な存在感を放っていたディーゼル機関車をご紹介します。

1. 唯一無二の凸型。HOゲージで味わう「DD51」の機能美

ディーゼル機関車といえば、やはりこの形。凸型の車体に朱色の塗装を纏った「DD51」です。 HOゲージ(1/80)サイズになると、その独特のフォルムはさらに迫力を増します。特にボンネットの放熱スリットの立体感や、中央に位置する運転台の「狭さ」まで伝わってくるような造形は、ディーゼル好きには堪らない魅力でした。

2. 🚆 私の記憶の中のDD51:秋田の風景と共に

私の手元にあったDD51は、JR貨物所属機。そのため、旅客列車を華やかに牽引する姿よりも、もっと泥臭く、しかし力強く「働く姿」が脳裏に焼き付いています。

  • 秋田港駅の入れ替え作業: 臨海鉄道との境界、秋田港駅。潮風を感じる中で、黙々とコンテナ車を入れ替える姿。短い編成を率いてゆっくりと動き出す際の、重厚なエンジン音と排気煙。あの日常の風景が、模型を眺めていると鮮明に蘇ります。

  • 真夜中の北上線迂回貨物: 奥羽本線が止まった夜、あるいは特別な使命を帯びた時。ディーゼルエンジンの咆哮を響かせ、暗闇の北上線を越えていく貨物列車。その先頭に立つDD51の頼もしさは、まさに「孤高の守護神」でした。

3. ✨ 車両解説:DD51形ディーゼル機関車

  • 車両の歩み: 1962年に登場し、日本全国の無煙化を推進した名機です。2基のエンジンを搭載し、当時の蒸気機関車(D51)を凌駕する性能を誇りました。

  • 旅客と貨物の表情: 秋田では貨物機としての印象が強いですが、JR西日本では今でも臨時客車列車を牽引することがあります。模型の世界では、あえてブルートレインの先頭に立たせて、西の「特別なトワイライトエクスプレス」のようなシーンを再現して遊べるのも、HOゲージの醍醐味でした。


🏁 まとめ:ディーゼルエンジンの鼓動を指先に

電気機関車のスマートさとは対照的に、どこか人間臭さを感じるDD51。

  • 働く機関車の美学: コンテナを連ね、港や険しい峠道で黙々と働く。その姿に、私は仕事に向き合う自分自身の姿勢を重ねていたのかもしれません。

  • 模型がつなぐ記憶: 手放してしまった今でも、写真(IMG_6404など)を見ると、あの朱色の車体が放っていた熱気まで思い出されます。

秋田の港と夜の峠道を守り続けた赤い名機。その重厚な走りは、今も私の「心の模型線路」の上を走り続けています。

【模型】手の中の「秋田の鉄路」。HOゲージで愛でたブルートレイン牽引機たち(電気機関車編)

鉄道模型には、走らせる楽しさだけでなく「所有する喜び」があります。特に秋田に縁のある車両を並べる時間は、至福のひととき。かつて私の手元で重厚な輝きを放っていた、HOゲージの電気機関車たちをご紹介します。

1. HOゲージという贅沢。1/80が刻むディテールの深み

Nゲージ(1/150)と比べ、HOゲージは手に取った時の「重み」が違います。配管の一本一本、運転台の計器類、そして力強い台車の造形。 社会人になり、少しずつ買い揃えたこれら「青い客車のエスコート役」たちは、部屋に飾っているだけで、深夜の秋田駅の空気感を運んできてくれるようでした。

2. 🚆 厳選!ブルトレを支えた名機たちの解説

■ EF81形(ローズピンク・国鉄色)

  • 車両解説: 交直流両用の万能機として、奥羽本線の全線電化後に主役となった機関車です。

  • 秋田との縁: 寝台特急「あけぼの」や「日本海」を牽引した、秋田県民にとって最も親しみのある電気機関車の一つでしょう。

  • 模型の見どころ: 国鉄時代からの伝統色である「ローズピンク」は、HOゲージの大きな車体だと、その落ち着いた色彩がより一層際立ちます。屋根上の複雑な高圧引き込み線が金属パーツで再現されている様子は、まさに「工芸品」の美しさです。

■ EF81形(レインボー塗装・95号機)

  • 車両解説: 「スーパーエクスプレスレインボー」専用機として、側面に大きく「EF81」のロゴが描かれた異色のスターです。

  • 模型の見どころ: 大胆な赤い車体と白いロゴ。HOゲージなら、その特徴的なロゴのレタリングも細部まで鮮明。秋田へも臨時列車や迂回「あけぼの」などで顔を出すことがあり、模型の中ではその華やかさが主役級の存在感を放っていました。

■ EF510形(500番台・カシオペア色)

  • 車両解説: 寝台特急「北斗星」「カシオペア」の牽引のためにJR東日本が導入した新世代の機関車。

  • 秋田との縁: 秋田総合車両センター(AT)への入退場や、東北本線のバックアップとして奥羽本線を走る姿も見られました。

  • 模型の見どころ: シルバーの車体に流れるような5色のストライプ。近代的なフォルムがHOゲージのサイズ感と相まって、工芸的な美しさを感じさせます。EF81と並べると、時代の進化を一目で感じることができる名機です。

■ EF510形(500番台・北斗星色)

  • 車両解説: 青い車体に金の流星を纏った、まさに「ブルートレインの正統な継承者」。

  • 模型の見どころ: 深い「青」の塗装の光沢が、HOゲージならではの面積で表現されると、その気品に圧倒されます。金の流星マークが精巧に印刷されている様子は、眺めているだけでかつての「北斗星」の旅情を思い出させてくれます。

3. ✨ まとめ:手放しても消えない「所有した記憶」

引越しなどのタイミングで手放してしまった車両たち。しかし、こうして写真を見返すと、モーターの駆動音や、ずっしりとした手応えが鮮明に蘇ります。

  • 秋田を愛でる: NゲージでもHOゲージでも、自分が生まれ育った街を走った車両を集めることは、自分自身の記憶を整理することでもあります。

  • 一期一会のコレクション: 一度手放したからこそ、今また新しい車両に出会った時の喜びが深まるのかもしれません。

かつて私の部屋で、1/80スケールの秋田や東北、JR東日本管内を走り抜けた機関車たち。彼らが牽引した「青い夢」の続きは、今でも私の心の中に大切に保存されています。

【保存車両の影】土崎に眠るデゴイチ「D51 370」の現状。守り続けることの難しさを想う

秋田市内には、二つの「デゴイチ」が保存されています。一つは大森山動物園(大森山公園)に、そしてもう一つが土崎街区公園に。

しかし、この二つの車両が置かれている状況は、今や極めて対照的です。今回は、厳しい状況にある土崎のD51 370にスポットを当て、保存車両の未来について考えます。

1. 放置に近い現状。フェンス越しに見る「デゴイチ」の涙

土崎街区公園を訪れると、そこにはかつての主役、D51 370が佇んでいます。しかし、かつてのように自由に運転台に登ったり、鉄の質感に触れたりすることはできません。

現在は安全上の理由か、高いフェンスで囲われ、外から眺めることしか叶わない状況です。さらに悲しいのはその車体。塗装は色褪せて剥がれ落ち、至る所に錆が浮き出ています。鉄道の街・土崎にあって、この状況はあまりに切なく、一人の鉄道ファンとして胸が締め付けられる思いです。

この写真は2010年8月のもの。この当時はまだキレイな状態を保っていました。

2. 車両解説:D51 370(デゴイチ・標準形)

ここで、土崎に眠るこの車両のプロフィールを紐解いてみましょう。

  • 製造: 1940年(昭和15年)日立製作所 笠戸工場製。

  • 歩み: 戦中から戦後にかけて、新潟や山形、新庄など羽越・奥羽本線を中心に活躍しました。

  • 秋田との縁: 1972年(昭和47年)に秋田で廃車となり、以来この地で静かに余生を過ごしています。

一方、大森山にあるD51 232は、地元「土崎工場(現・秋田総合車両センター)」で製造された第1号機という特別な出自があり、定期的な修繕を受けて美しさを保っています。同じD51でも、その出自の差が、皮肉にも現在の管理状況の差に繋がっているのかもしれません。


こちらはキレイにぬりなおされた直後、2015年8月の大森山動物園前にあるD51-232

🚈 全国に広がる「静態保存」の課題

土崎のD51が直面している問題は、決してここだけの話ではありません。全国各地の公園で、かつて地域のヒーローだったSLたちが、予算不足や担い手不在のために「置かれているだけ」の存在になり、朽ち果てていくケースが後を絶ちません。

  • 修繕には莫大な費用がかかる: 一度錆びてしまった巨体を塗り直すだけでも、数百万円規模の予算が必要です。

  • 「触れられない」ことの寂しさ: フェンスで囲うことは安全策ではありますが、子どもたちが鉄道に興味を持つきっかけを奪ってしまうことにもなりかねません。

3. ✨ まとめ:私たちにできること、そして未来へ

小坂鉄道保存会で活動していると、車両を「きれいなまま保つ」ことがどれほど大変で、そして尊いことかを実感します。

  • 土崎の誇りをもう一度: かつて湊城があった歴史ある地に置かれたD51 370。鉄道の街・土崎の象徴として、再び輝きを取り戻す日は来るのでしょうか。

  • 保存会の視点から: キハ2101が修復によって輝きを取り戻したように、いつかこのデゴイチにも、誰かの熱意が届くことを願わずにはいられません。

2026年4月。春の光は優しく注いでいますが、フェンスの中のD51 370は、静かに助けを待っているようにも見えました。身近な歴史遺産をどう守り、次世代に繋いでいくか。この「残念な状況」は、私たち鉄道を愛するすべての人への問いかけなのかもしれません。

【定点観測】秋田総合車両センターの春。去りゆく国鉄の名機たちと、未来へ繋ぐ特急の鼓動(2026/04/12)

2026年4月12日、春の風を感じながらのランニング。その足跡の先に広がるのは、秋田の鉄道ファンにとっての「聖地」であり、時に「終着駅」ともなる**JR東日本 秋田総合車両センター(AT)**の風景ですね。

国鉄時代から日本の鉄路を支え抜いた名車たちが、その役目を終えて静かに佇む姿。寂しさと敬意が入り混じる、今この瞬間しか見られない情熱的なレポートをまとめました。

1. 時代の転換点。仙石線205系の「最後の大集結」

ランニングの途中で目に飛び込んできたのは、見慣れたステンレス車体に青い帯を纏った205系の群れ。

  • 仙石線からの長い旅路: 宮城県の仙石線で長年通勤・通学の足として活躍した3100番台。新型車両への置き換えが進み、ここ秋田へと回送されてきました。

  • 解体を待つ静寂: かつて山手線などで一世を風靡した205系も、いよいよ終焉の時(鶴見線に一部残っていますが)。大量に留置されている姿は圧巻ですが、同時に一つの時代の幕引きを強く感じさせます。

2. 🐉 勇者たちの休息。機関車大集結という「寂しい贅沢」

敷地内には、昨年度までに運用を離脱したJR東日本が誇る機関車たちが、かつてない密度で留置されていました。

■ 電気機関車の重鎮たち

  • EF81形: 寝台特急「あけぼの」や「日本海」を牽引した交直流のマルチプレーヤー。尾久、新潟、秋田で最後に残っていた機関車が集まっていますね。お召し機の81号機のみ車籍が残っているようで休車扱いみたいです。

  • ED75形: 東北の交流電化区間を支え続けた「赤い彗星」。晩年は秋田と仙台に残っていた700番台だけでしたね。この日は撮影会でオリエントサルーン色になった767は見えませんでした。

  • EF64形: 勾配に強い武骨なフォルムが魅力の直流機。

■ ディーゼル機関車の守護神たち

  • DD51形: 「デゴイチ」に代わり無煙化を推進した名機。

  • DD14形: 除雪の要として、秋田の厳しい冬を共に戦ったロータリー式機関車。

  • DE10形: 入換から臨時列車まで、どこでも見かけた万能選手。

現状外からは見えない位置に留置されていそう。

これらの車両たちは、もはや「解体待ち」の状況にあると思われます。これほどの名車たちが一堂に会する光景は、ファンにとっては「贅沢」でありながら、その先にある別れを思うと、胸が締め付けられるような「寂しさ」を伴うものです。

🚈 未来へ繋ぐ、茜色の「いなほ」E653系

そんな中で、明るい話題もありました。

  • 検査入場のE653系: 特急「いなほ」として活躍中のE653系が検査のため入場していました。磨き上げられ、再び日本海沿いを駆け抜けるための準備期間。去りゆく国鉄車両たちの中で、この近代的な車両の姿だけが、これからの秋田の鉄路を照らす「未来の希望」のように見えました。


3. ✨ まとめ:ランニングで刻む「鉄路の記憶」

自宅近くにこうした車両センターがあるからこそ、私たちは時代の移り変わりを肌で感じることができます。

  • 国鉄車両への感謝: ボランティアとして小坂鉄道の車両を守っている「まーくん」だからこそ、これらの車両が辿る運命には人一倍深い思いがあるはずです。

  • 日常の中の聖地: 解体されて姿を消しても、あの日ランニングで見た勇姿、そして私たちが撮り溜めた写真は、大切な歴史の1ページとして残り続けます。

2026年4月12日。秋田総合車両センターの景色は、私たちに「今の鉄道」を愛でることの大切さを教えてくれているようでした。

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