本田正博の「わくわく親子鉄・乗り鉄」ブログ

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【名車解説】北東北の絆を繋ぐ「特急つがる」の系譜。485系から現代へ続く奥羽路の記憶

特急「たざわ」、そして「かもしか」の血統を受け継ぎ、秋田と青森をダイレクトに結び続けているのが特急「つがる」です。古くは急行「津軽」として秋田の鉄路に馴染み深い名を冠したこの列車は、私にとって年間で最も多く利用する、公私ともに欠かせない「有益な特急」です。

1. 🕒 東北新幹線新青森開業とともに。485系「つがる」の誕生

特急「つがる」自体は以前から存在していましたが、秋田〜青森間の主役として定着したのは2010年12月の東北新幹線新青森全線開業時でした。

  • 「かもしか」からの交代: それまでの特急「かもしか」に代わり、青森車両センターの485系リニューアル編成(3000番台)4両編成での運転が始まりました。

  • 485系リニューアル編成の輝き: 3000番台は、かつて特急「はつかり」などで活躍した高機能な車両で、普通車のほか半室グリーン車も備えた快適な仕様でした。東能代駅や秋田駅に滑り込んでくる、あの近代的なマスクの485系は、新しい時代の幕開けを感じさせてくれるものでした。

  • E751系への移行と引退: 2011年春以降は、それまで八戸〜青森間を走っていたE751系が順次投入されました。485系はその後も活躍を続けましたが、2016年春のダイヤ改正をもってついに引退、全車廃車となりました。

上の写真は試運転時の6両編成の様子

2. 🚆 私を青森へ運ぶ「いつもの席」

私にとって、青森方面への移動に「つがる」は絶対的な存在です。

  • もっとも身近な特急: 仕事でもプライベートでも、秋田から大館、弘前、そして青森へと北上する際には必ず利用します。年間で特急列車に乗る回数を数えれば、間違いなくこの列車が一番多いでしょう。

  • 伝統の愛称: 「かもしか」から「つがる」へと名称が変わりましたが、かつての急行「津軽」の時代から、この地域を走る列車として「つがる」という響きには、特別な親しみと安心感を抱いています。

583系時代の急行津軽(青森駅にて)

3. 🏁 岐路に立つ、北東北の足

長年、地域のインフラとして機能してきた「つがる」ですが、近年その姿には一抹の不安もよぎります。

  • 乗車率の懸念: 残念ながら、近年の乗車率は決して高いとは言えません。秋田と青森という二つの県都を結ぶ重要路線でありながら、いつまでこの体制で運転が継続されるのか、一人のファンとして、そして利用者として危惧しています。

  • スローな旅の価値: 4時間はかからないものの、奥羽本線を淡々と進むその時間は、車窓を眺めながら思考を巡らせる貴重なひとときです。「つがる」がいつまでも秋田駅のホームで待っていてくれる、そんな未来であってほしいと願わずにはいられません。

EE751系特急つがるの普通座席(指定席、自由席共通)


✨ まとめ:走り続けてほしい、私たちの特急

特急「つがる」は、単なる移動手段以上の価値を私たちに提供してくれています。かつて485系が力強く駆け抜けたその線路を、現在はE751系が守り続けています。

E751系のグリーン座席。16席の半室グリーンですが、ゆっくりとした時を過ごせます

 

時代の変化とともに列車の形や編成は変わりましたが、「秋田と青森を繋ぐ」というその使命は変わりません。利用者が減っている今だからこそ、あえて特急を選んで旅をする。そんな「つがる」への応援を、これからも一人の乗り鉄として続けていきたいと思っています。

【名車解説】新幹線と秋田を繋いだ黄金の架け橋。485系特急「たざわ」と過ごした日々

1982年の東北新幹線開業から、1997年の秋田新幹線「こまち」へとバトンを繋ぐまでの約15年間。秋田駅のホームで最も頻繁に見かけた特急といえば、間違いなく「たざわ」でした。私が高校を卒業し、横浜の大学へ通い始めた時期はまさにその全盛期。帰省のたびにお世話になった、思い出深い列車です。

1. 🕒 時代が生んだ「新幹線連絡特急」の使命

特急「たざわ」は、東北新幹線の終点だった盛岡駅と秋田駅を、田沢湖線経由で結ぶ連絡特急として誕生しました。

  • 高頻度運転の先駆け: デビュー当初は485系6両編成で1日6〜7往復の運転でしたが、あまりの好調ぶりに増発が繰り返されました。

  • 短編成化の工夫: より多くの本数を確保するため、編成を3両または5両へと組み替え、最終的には毎日14往復が走るほどの高密度ダイヤとなりました。秋田駅で待っていれば、いつでも盛岡への、そして東京への道が拓けている——そんな安心感を与えてくれる存在でした。

2. 🍜 盛岡駅ホーム、母と食べた「駅そば」の記憶

「たざわ」の旅に欠かせないのが、盛岡駅での新幹線乗り換えです。

自由席を確保するために早めにホームへ並びましたが、その合間に食べた「駅そば」の味は今でも忘れられません。横浜へと戻る私を見送りに来てくれた母親と一緒に、湯気の立つそばを啜ったあの時間。少し寂しくて、でも新しい生活への期待に満ちていた、大学生時代の「帰省の終わり」を象徴する懐かしい思い出です。

3. 🏁 改軌工事の傍らを駆け抜け、伝説へ

秋田新幹線の開業が近づくと、線路を標準軌へ広げる改軌工事が始まりました。

  • 工事中の車窓: 現在の秋田総合車両センター(旧・秋田車両センター)付近では、新幹線の線路が敷設されていくすぐ横を、485系が力強く走り抜けていきました。時代の移り変わりを肌で感じる、貴重な光景でした。

  • 北上線経由への一時交代: 1996年、改軌工事がいよいよ大詰めを迎えると、田沢湖線は運休となります。盛岡との連絡役は北上線経由の「秋田リレー号」に譲り、「たざわ」は開業までの1年間、秋田〜青森間の特急としてその名を残しました。


✨ まとめ:リバイバルされることのない「孤高の名列車」

特急「たざわ」は、1997年の秋田新幹線開業とともに惜しまれつつ消滅しました。残念ながら、他の名列車のようにリバイバル運転される機会もこれまでありませんでしたが、私たちの記憶の中には、あの国鉄特急色の485系が、田沢湖線の険しい山々を軽快に越えていく姿が鮮明に残っています。

横浜での大学生活を支えてくれた、頼もしい足。盛岡駅での別れと、秋田駅での出迎え。そのすべてに「たざわ」がいました。秋田の鉄道を語る上で、これほど親しみ深く、そして「頑張っていた」特急は他になかったように思いますね(写真は盛岡駅ではなく青森駅で特急はつかりと並ぶ特急たざわ)

【名車解説】北東北を駆け抜けた「白と青」の弾丸。485系特急「かもしか」の記録と記憶

かつて秋田駅のホームで、茜色の新幹線「こまち」の隣に寄り添うように停車していた、白地に青とピンクのラインを纏った短い特急列車がありました。1997年の秋田新幹線開業とともに誕生し、秋田と青森をダイレクトに結んだ特急「かもしか」です。運行期間は13年ほどと決して長くはありませんでしたが、秋田県民にとっては非常に馴染み深い「北の韋駄天」でした。

1. 🕒 秋田新幹線とともに歩んだ「かもしか」の歴史

特急「かもしか」は、1997年3月22日の秋田新幹線開業に伴い、それまで盛岡〜秋田〜青森間を結んでいた特急「たざわ」が廃止されたことを受けて新設されました。

  • 接続の主役: 新幹線「こまち」の終点・秋田駅から、さらに大館・弘前・青森方面へと向かう乗客を繋ぐ重要な役割を担っていました。

  • 「つがる」へのバトンタッチ: 2010年12月の東北新幹線新青森開業に伴い、愛称が現在の「つがる」へと統合され、車両もE751系に置き換わる形でその役目を終えました。

2. 🚆 コンパクトながら多彩な表情。485系「専用カラー」の魅力

「かもしか」の最大の特徴は、その愛らしい専用塗装と、機動力を活かした柔軟な編成にありました。

  • 唯一無二のカラーリング: 485系といえば国鉄色や上沼垂色が有名ですが、「かもしか」には白をベースに、北東北の自然や雪をイメージしたような爽やかな専用色が施されていました。

  • 3両編成のプライド: 基本は3両という短編成でしたが、中には半室グリーン車も連結されており、特急としての品格を保っていました。

  • 多彩な代走と増結: 繁忙期には2編成を繋いだ6両編成での運行や、時には秋田の誇る寝台電車583系が代走を務めることもありました。そんなバラエティ豊かな姿を、土崎付近や秋田駅のホームで追いかけた日々が懐かしく思い出されます。

3. 🏁 家族の思い出を繋いだ秋田駅の風景

私は「かもしか」に乗車する機会はありませんでしたが、この列車には忘れられない家族の光景があります。それは、函館に住む妹家族が秋田へ遊びに来た際のことです。

帰路につく彼らを見送るため、秋田駅のホームへ向かいました。青いラインの「かもしか」に乗り込み、青森で青函連絡船ならぬ「白鳥」へと乗り継いでいく妹たち。窓越しに手を振る姿と、485系の独特な駆動音、そして隣のホームに停まる「こまち」の対比。あの日、秋田駅で感じた「別れの切なさと旅の情緒」のそばには、いつも「かもしか」の姿がありました。


✨ まとめ:北の鉄路を支えた、小さくて大きな存在

現在は「つがる」としてその役割は引き継がれていますが、秋田駅の切り欠きホームにちょこんと停まっていた「かもしか」の姿は、今でも秋田の鉄道シーンを語る上で欠かせない1ページです。

専用カラーを纏った485系が、時に雪を跳ね飛ばし、時に夏の奥羽本線を軽快に駆け抜けていった日々。写真を見返すたびに、北東北の街と街を繋ぎ続けたあの白い特急の、誇らしげな表情が蘇ってくるようです。

 

【名車解説】羽越路を駆け抜けた「鳥海」の足跡。昼行485系から24系ブルートレインへ

秋田に縁のある列車名の中でも、「鳥海」ほどその役割や姿を変えながら愛されてきた名前はないかもしれません。山形・秋田県境にそびえる名峰を冠したこの列車は、ある時は昼の俊足として、またある時は夜の安らぎとして、長年私たちの街と首都圏を結んでくれました。

1. 🕒 昼行特急の時代:485系が輝いた羽越の夏

かつて、羽越本線の昼の顔といえば485系「特急鳥海」でした。

  • 昭和の記憶: 1982年の上越新幹線開業に伴い、上野〜青森間(羽越本線経由)を結ぶ昼行特急として誕生しました。昭和62年(1987年)頃、JR新屋駅付近のカーブを重厚なモーター音と共に駆け抜けていったその姿は、まさに国鉄特急の黄金時代を象徴するものでした。

  • 短命に終わった昼の主役: 東北新幹線の延伸に伴い、1985年には一度定期運行から退くことになりますが、その端正な姿と「鳥海山」をイメージした鮮やかなヘッドマークは、今も多くのファンの心に刻まれています。

2. 🛌 寝台特急の時代:24系が繋いだ「あけぼの」との絆

1990年、山形新幹線の延伸工事をきっかけに、「鳥海」は寝台特急として劇的な復活を遂げます。

  • 「あけぼの」の分身として: それまで奥羽本線経由だった「あけぼの」のうち、1往復が羽越本線経由に変更される際、その愛称が「鳥海」となりました。

  • 1997年、大鰐温泉駅での邂逅: 秋田新幹線開業直前の1997年3月。大鰐温泉駅のホームで、EF81形電気機関車に導かれた24系「鳥海」を見送った時の情景が蘇ります。雪深い夜のホームに、青い客車の窓灯りとテールマークの光が落ちる様は、この世のものとは思えないほど幻想的な美しさでした。

3. 🏁 「あけぼの」への継承と歴史の完結

1997年3月22日の秋田新幹線開業。それは「鳥海」という愛称にとって、大きな区切りとなりました。

  • 役割のバトンタッチ: この改正で、それまで奥羽本線を通っていた「あけぼの」がすべて羽越本線経由に統一されました。これに伴い、「鳥海」はその愛称を「あけぼの」に譲る形で、再びその歴史に幕を閉じました。

  • 乗車は叶わずとも: 「出羽」と同じく、私もついにこの列車に足を踏み入れる機会はありませんでした。しかし、昼の485系、夜の24系。レンズ越しに追い続けたその勇姿は、私にとっての「秋田の鉄道史」そのものです。


✨ まとめ:名峰の名を冠した列車の誇り

羽越本線の厳しい冬を、そして眩しい夏を、黙々と走り抜けた「鳥海」。実際にそのベッドで眠ることはありませんでしたが、駅のホームで感じたあの重厚な空気感は、今でも昨日のことのように思い出すことができます。

【名車解説】羽越の夜を黙々と駆けた仕事人。寝台特急「出羽」の短くも濃密な記憶

かつて上野駅の地平ホームから、北を目指して出発していったブルートレインたち。その中でも、秋田県民にとって「あけぼの」と並んで忘れられない存在が、寝台特急「出羽」です。1982年から1993年までのわずか11年という運行期間でしたが、羽越本線経由で秋田と首都圏を直結したその姿は、まさに「知る人ぞ知る名列車」でした。

1. 🕒 誕生の背景:急行「鳥海」からの格上げ

「出羽」の名はもともと、上野と新庄を結ぶ夜行準急・急行として親しまれていました。転機が訪れたのは1982年11月、東北・上越新幹線開業に伴うダイヤ改正です。

  • ブルートレインへの進化: それまで上野〜秋田間(羽越本線経由)を結んでいた夜行急行「鳥海」が寝台特急へと格上げされ、愛称として「出羽」が採用されました。

  • 運行ルート: 上野を出発し、高崎線・上越線・信越本線(新津経由)を経て羽越本線に入り、秋田へと向かうルート。福島や仙台を経由する「あけぼの」とは異なり、日本海側をストレートに北上する「最短距離の夜行便」としての役割を担っていました。

2. 🚆 牽引機と客車のアンサンブル

「出羽」の魅力は、その武骨なまでの「青い客車列車」としての佇まいにありました。

  • リレーする機関車たち: 上野から新津(新潟県)までは、上越線の急勾配に強い「山男」ことEF64形1000番台が牽引。そして新津から秋田までは、交直流の両用機EF81形へとバトンが渡されました。夜明けの羽越本線を、ローズピンクの機関車に引かれて静かに進む姿は、沿線でカメラを構えるファンにとって至福の被写体でした。

  • 24系客車の構成: 使用されていたのは24系客車。基本的にはB寝台が中心でしたが、A寝台も1両連結されており、急行時代よりも格段に向上した居住性は、秋田から東京へ向かうビジネス客や旅行者にとって頼もしい味方でした。

3. 🏁 「鳥海」への統合と、消えゆくテールマーク

1990年、山形新幹線の工事に伴い、それまで奥羽本線経由だった「あけぼの」が一部羽越本線経由へと変更されます。これによって、同じルートを走る「出羽」と「鳥海(特急として復活)」が並立する時期が続きました。

  • 1993年の幕引き: 最終的に1993年12月の改正で、「出羽」は「鳥海」に吸収統合される形でその愛称を返上しました。

  • レンズ越しの出羽: 私が撮影した写真(新屋付近や秋田駅でのカット)を見返すと、そこには「あけぼの」とは少し違う、どこか控えめながらも確実な使命感を持って走る「出羽」の誇りが写し出されているように感じます。


✨ まとめ:記憶の中に残り続ける「青い残像」

私は「出羽」に実際に足を踏み入れることは叶いませんでした。しかし、早朝の秋田駅の冷たい空気の中で、寝台券を持たない自分がホームの端から見送った、あの青いテールマークの光は今も鮮明に覚えています。

【名車解説】秋田と首都圏を繋いだ蒼き流星。寝台特急「あけぼの」の記憶と24系客車の矜持

かつて、夜の秋田駅に独特の静寂と高揚感をもたらしていた列車がありました。上野と青森を、羽越本線経由で結んでいた寝台特急「あけぼの」です。2015年に「北斗星」が姿を消し、純粋なブルートレインの歴史に幕が下ろされましたが、秋田県民にとって最も身近で、最も頼もしかった「あけぼの」の記憶は、今も色褪せることがありません。

http://www.akita-train.jp/images/train/akebono-01.jpg

1. 🕒 時代を駆け抜けた北の夜行:運行の軌跡

寝台特急「あけぼの」は、山形新幹線や秋田新幹線が開業する以前、奥羽本線経由で運行されていました。新幹線開業後は羽越本線経由へとルートを変えましたが、秋田地区から首都圏へ、寝ている間に移動できる利便性から、常に高い乗車率を誇っていました。

24系寝台特急あけぼのこまち

  • 牽引機の系譜: 上野駅から長岡駅までは、力強い山男・EF64形電気機関車が担当。かつては全区間をEF81形が通して牽引していた時期もあり、ローズピンクやレインボーカラーの機関車が先頭に立つ姿は、駅のホームを彩る華やかな一幕でした。

あけぼの

  • 晩年の姿: 2014年3月のダイヤ改正で定期運行を終え、その後は臨時列車として運行。編成も縮小されましたが、2015年1月の年末年始運行を最後に、惜しまれつつその歴史に幕を閉じました。

2. 🛌 24系客車が提供した「動くホテル」の至福

「あけぼの」に使用されていた24系客車は、まさにブルートレインの象徴でした。車内には、旅の目的に合わせた多様な空間が用意されていました。

24系寝台特急あけぼのこまち

  • A寝台「シングルデラックス」: 開放式寝台とは一線を画す、プライベートが確保された贅沢な個室。補助ベッドを使用すれば2名での利用も可能で、2室を繋げてコネクティングルームのように使える仕様もあり、夜行列車の旅に「格」を与えてくれました。

  • B個室寝台「ソロ」: 特に上段客室の窓から眺める夜景は絶景でした。赤羽付近の都会の灯りが流れていく様子を、自分だけの空間で眺める時間は、寝台列車ならではの贅沢なひとときでした。

  • 人々の記憶に残る最後部: 上野駅の行き止まりホームに停車する「あけぼの」の最後部。テールマークの淡い光の前で、旅の始まりを記念撮影する観光客の姿は、当時の上野駅の日常風景でした。

3. 🏁 聖地・小坂で出逢える「あの日の夢」

鉄路から姿を消した「あけぼの」ですが、その一部の車両は今も秋田県内に息づいています。小坂町にある「小坂鉄道レールパーク」です。

  • 泊まれるブルートレイン: 現役当時の姿を留めた24系客車が宿泊施設として再活用されており、かつてのB個室「ソロ」や開放式寝台に実際に泊まることができます。

  • 受け継がれる感動: 動くことはなくなりましたが、青い車体に身を沈め、レールの繋ぎ目を感じながら眠りにつく体験は、子どもたちにとっては新鮮な冒険に、大人たちにとっては懐かしい記憶への旅となります。


✨ まとめ:夜明けを待つ、すべての旅人へ

2014年1月、雪の舞う秋田駅に滑り込んできた「あけぼの」の雄姿。あの重厚なブレーキ音と、発車時に響く客車の連結器の音は、今でも耳の奥に残っています。

効率やスピードが求められる現代において、一晩かけてゆっくりと目的地へ向かうブルートレインの旅は、何物にも代えがたい心のゆとりを教えてくれました。レールパークで静かに余生を過ごす彼らに会いに行くたび、あの日、青い客車の窓から眺めた夜明けの美しさを思い出すのです。

最後に国鉄時代に秋田駅到着前(四ツ小屋駅付近)寝台特急あけぼの。奥羽本線はED75-700番台がけん引していました。

【再訪】碇ヶ関「RUUP/(ルウプ)」に広がる縁の輪。アンガーマネジメントの本を携えて(2026/05/03)

2026年5月3日、ゴールデンウィーク後半戦の初日。午前中の仕事を終え、私はその足で再び青森県平川市の碇ヶ関へと向かいました。わずか数日ぶり、2回目となる「RUUP/(ルウプ)」への訪問。そこには、短時間の滞在とは思えないほど濃密で、心温まる出会いが待っていました。

1. 📚 碇ヶ関から届ける「心の整え方」

今回の目的は、JR碇ヶ関駅舎内にあるカフェ&ブックストア&バー「RUUP/(ルウプ)」で借りているブックスタンドに、大切な「贈り物」を届けることでした。

並べたのは、アンガーマネジメントの師である戸田久実先生の著書です。仕事やプライベートで忙しい日々を送る方々が、こののどかな駅のカフェでふと本を手に取り、感情との向き合い方を知るきっかけになれば。そんな願いを込めて、一冊一冊丁寧に並べてきました。駅ナカという場所だからこそ、旅の途中の「自分へのフィードバック」として読んでもらえたら嬉しいです。

2. ✨ 齊藤オーナーと、驚きのサプライズな出会い

滞在時間はわずか1時間半ほどでしたが、オーナーの齊藤さんのもとに集まる方々は、本当にフレンドリーでした。

  • 繋がるご縁: 居合わせたお客さまとお話ししていると、なんと初対面にもかかわらず共通の知り合いがいることが判明しました。見知らぬ土地の、静かな駅舎のカフェで起こったこの奇跡的な出会いには、心底驚かされました。「RUUP/(ルウプ)」という名の通り、ここは人と人とを不思議な引力で結びつける場所なのだと再確認した次第でした。

🚈 アクセス抜群の「のどかな拠点」

帰りは秋田行きの最終普通列車に揺られ、静かに家路につきました。

  • 雨でも安心、移動もスムーズ: 駅の建物内に位置する「RUUP/(ルウプ)」は、雨に濡れる心配がなく、電車の待ち時間を最大限に活用できるのが魅力です。秋田から特急「つがる」で向かい、帰りは各駅停車でのんびりと。そんな鉄道旅との相性も抜群です。

  • 周辺の魅力: すぐ近くには「道の駅 いかりがせき」もあり、美味しい特産品や温泉も楽しめます。のどかな風景の中にある、とっても便利で温かいカフェでした。


✨ まとめ:訪れるたびに好きになる、碇ヶ関の止まり木

午前中の仕事の疲れも、ここでの温かな交流と美味しいコーヒー、そしてサプライズな出会いであっという間に吹き飛びました。ちなみに曜日によりますが夜の時間帯(18:00~)はバーになります!アルコールの提供もありますよ。

ただのカフェではなく、新しい知識や人との出会いが循環する場所。碇ヶ関という静かな駅に灯るこの明かりが、これからも多くの人の心を癒やし、繋いでいくことを願っています。皆さんもぜひ、特急や各駅停車に揺られて、この素敵な「輪」の中に遊びに行ってみてください。

詳しくはInstagramのページをご覧ください

https://www.instagram.com/ruup_ikarigaseki/

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